センスがなくてと言うのは、成長を放棄していると言っているのと同じなんだと思った
センスというのは、特別な人にだけ備わっている特別なこと。
長い間そう思っていました。
SNSをやれば、投稿にセンスがない。
部屋は雑然としていて、片付けのセンスがない。
ファッションセンスもメイクのセンスもない。
音楽センスがなくて、ピアノもそれなり。
運動センスがなくて、テニスもそれなり。
センス、センス、センス、センス…
センスという言葉に苦しんでいた感じがします。
けれども、それは間違った思い込みであると、最近気づきました。
「センスを持って生まれてこなかった」というより、知識と行動が圧倒的に不足しているだけということだったんです。
こんにちは。札幌でWebプロデューサーをしている白藤沙織です。
「センス」と聞くと、とたんにショボーン(´・ω・`)としてしまう私でした。
ところが、水野学さんの「センスは知識から始まる」(朝日新聞出版)を読んでみると、そんなに絶望することでもないんだとわかり、ちょっと希望が持てました。
Amazonへのリンクはこちら↓
くまモンをデザインした水野さんは、「センスとは、知識に基づく予測である」と言っています。
そうすると、「センスがないから、なかなか企画が通らなくて」と愚痴るのは、「企画をするための準備を怠っているから、通らないのも当然」と言っているのと同じことなんだなと気づきました。
これは何とかしなければなりません。
勉強すればいいことだよ
思い返せば、似たようなことを言われたことがあります。
「メイクのセンスがない」と落ちこんでいたとき、おしゃれセンスがあると言われてる友人が「すべてはロジックだから。きれいに見える法則がある」と言っていました。
「自分の好きなことはあるけれど、それが個性になっているかわからない」と相談したとき、マーケティングの師匠であるエクスマの藤村先生は「それは没頭する時間が足りない。勉強が圧倒的に足りていない」というアドバイスをくれました。
なるほど。このような過去の出来事が、次り水野さんの文章と結びつきました。
よきセンスをもつには、知識を蓄え、過去に学ぶことが大切です。同時にセンスとは、時代の一歩先を読む能力も指します。
そして、いやいや勉強はしたけれども、センスは一向によくならないんだよね。
とつい口に出したくなりますが、この文章を読むとそうではないことに気づきます。
センスの最大の敵は思い込みであり、主観性です。思い込みと主観による情報をいくら集めても、センスはよくならないのです。
私が「おしゃれのセンス」「片付けのセンス」に自信がないわけがわかりました。興味がなくて今まで知ろうとしていなかったのだから、何も知らないのです。知らないから、何がよくて、何が悪いのか基準を持つことができなかったのです。
ということは、まずは興味を持って知識が増えていくうちに、センスも磨かれるというわけです。
そして、仕事でも企画力がないとか落ち込む前に、Webサイトをたくさん見てイケてると思ったものをピックアップし、何がイケてるのか言語化したり、お客さんの業界を調べたり、せっせと動くことが大事なんですね。
快適に生きるセンスを身につけよう
仕事に結びつくかどうかは別として、興味が惹かれるがままに知りたいことを深めていくと、楽しく生きるセンスを磨くことができそうです。
センスを磨く方法には、こんなことがあります。
- 自分の好きなものをリスト化して、なぜそれが好きなのか深堀していく
- いつもと違うことをして思い込みから自由になる
- 書店を5分で1周して気になった本を手に取って読んでみる
- 幼児のように何もかもしりたくてたまらない自分になる
- 自分の体型を知って最適な洋服を選ぶ
どれもすぐにできそうな感じがします。
そうしたら、「センス地獄」から脱出できますね。
まずは、自分が興味がある分野・好きな分野から始めてみます(^_-)-☆
エクスマでいう好きなことを発信するということも、つながるなと思いました。
そして、快適に生きるセンスをみんなが身につけたら、社会はもっと優しく・生きやすくなるんじゃないかなぁと妄想したのでした。
水野さんの本は読みやすくておススメです!
コメント
この記事の投稿者
白藤沙織
Web・印刷の株式会社正文舎取締役。 Webプロデューサー 兼 ライター。ときどきセミナー講師。 コーチやカウンセラーの資格を持ち、仕事に活かしています。 ダンス・歌・演劇好き。4コマ漫画のサザエさんをこよなく愛しています。
営業をどのようにしたらよいかわからないときに、Webサイトとブログ、SNSに出会う。以来、情報発信を丁寧にして未来のお客様と出会ったり、お客様のフォローをしています。
仕事もプライベートも「自分の生きたい人生を生きる」ために、「自信や勇気」を届けられたらうれしいです。