常識を逸脱しようとするときの第一の関門
自分の中の罪悪感が自分を止めてしまう
業界の常識、会社の常識、社会の常識に縛られず、自由になろう。常識を逸脱しよう。
そう決めて行動し始めると、ある気持ちが襲ってくることがあります。
それは、罪悪感 (-_-;)
たとえば、
職場でSNSでたくさんの人たちと交流して楽しんでいると、「仕事は真面目にするもんだ」と怒られるとか、
たくさん遊ぼうと思っていたら、「いつも家にいないのね」とか文句を言われるとか、
会社の常識を変えちゃえ~とか思ったら、「孤立しているんじゃない」と心配されるとか
自分が行動を変えると、周囲も変わらざるを得なくなるので、いろんな反応が起こります。
これは仕方がないことです。
そうは言っても、
自分だけラクしていいのだろうか。
自分だけ楽しんでいいのだろうか。
こんな気持ちが湧いてくるかしれません。
そして、最初は元気に変わることにチャレンジしていたのに、だんだん自分に自信が持てなくなって、行動のスピードか鈍り、元に戻ってしまう。
そうすると、いろいろ言っていた人たちは元に戻ったので、何も言わなくなる。
問題が片付いたようで、本人の問題は何も変わらず、相変わらずもやもやとしてしまう。
何かそのくり返し。
自分が本気で取り組みたいのに、それができないって状況が続いているときは、罪悪感がないか考えてみるといいですよ。
そして、その罪悪感がどこからくるのかも、考えてみるといろんなことがわかってきます。
罪悪感の元になっていることを解決しないと、逸脱のための行動ができないってことがありますからね。
そんなときは、罪悪感の元の方を先に解決しましょう。
とくに問題がなければ、自分のために「えいっ」って決断して、罪悪感を振り切る覚悟が必要になるかもしれません。
もっとも、変わることが楽しくて、楽しくて、そのままずっと進んでいける場合もありますがね。
人間は慣れたことの方が好きな動物なので、新しいことをすると、自分も周囲もちょっと不安になるみたいです。
仕方ないですよね。慣れてないんだもの。慣れるまでは、ぎくしゃくするかもしれません。
だから、決めるしかないと思う。
自分のためにここから抜け出して、自由になるってね。
それで失敗したらどうする?っていう不安もあるかと思います。
ですが、失敗って世の中ないし、しなければならないことはひとつもありません。
一度決心したことが崩れちゃっても、それはそれでいいじゃんって思います。
わかりやすい例をあげると、早起き生活にしようと最初の3日はがんばっても、4日目から起きる時間がだんだん遅くなってしまい、気づいたらやっぱり同じ生活をしていたってことがあります。それで、自分はダメ人間なんだーと自分を責めてしまう人もいる。
こんなとき、私は「いいんじゃない。本当にやりたかったら、また取り組めばいいよ」って言います。
大事なのは現状を認めて、前に進むことだから、過去を嘆いて落ち込む必要はないんです。
本当に自分にとって必要ならば、何度でも挑戦するとよいと思うんですよ。
そもそも自分は何でこれに取り組んでいるんだろって、自分に問いかけながらね。
その理由がはっきりわかったら、行動し続けることができると思うんです。
うん、きっとできると思うなー。
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この記事の投稿者
白藤沙織
Web・印刷の株式会社正文舎取締役。 Webプロデューサー 兼 ライター。ときどきセミナー講師。 コーチやカウンセラーの資格を持ち、仕事に活かしています。 ダンス・歌・演劇好き。4コマ漫画のサザエさんをこよなく愛しています。
営業をどのようにしたらよいかわからないときに、Webサイトとブログ、SNSに出会う。以来、情報発信を丁寧にして未来のお客様と出会ったり、お客様のフォローをしています。
仕事もプライベートも「自分の生きたい人生を生きる」ために、「自信や勇気」を届けられたらうれしいです。