自分の感情を受け止めてあげたら、自然と笑顔になれると思う

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folder 白藤沙織のこと

私はわりと「ネガティブな感情」を持つこと、悪いことではないって思う派です。

何もかもいやになって、ひとりうちに閉じこもって泣いていた。
なんてことやって、次の日にすっきり元気になっていたら、いいじゃないって思うの。

病気で辛い思いをしているとき、「大丈夫、大丈夫」って無理やり元気を出そうとしているよりも、「いたいーよー。つらいよー。もうやだよー」って叫んでいた方が身体には優しくて、案外回復ははやいものです。

ここでのポイントは、自分のために閾値を超えて徹底してやるってこと。中途半端位にやると長引きます。
また、自分に注目してほしいために他人にむけてやっていると、別の問題に発展していきます。自分も負のスパイラルから抜け出せなくなる。この話はまた別の機会にするとして、、、

人間、感じている気持ちを否定して生きることくらい、つらいことはないんじゃないか。
私はそう思うのですよ。
いま、感じていることを受け止めて、あぁそうなんだぁと納得しない限り、人生は変わっていかないもん。

この人たちも、何かネガティブなことを抱えてそうですね

たとえ、大好きな人から「笑顔が素敵だよ」って言われていたとしても、ときにはその人に対して「ムカつくな」と怒りの感情を感じていいわけで。自分の感情を否定するって、心の中に何かあるのかなぁ?

ここで誤解のないようにします。私はいつでも怒りを表現していいとは思っていないのです。
ただ感じたことは、素直に受け取ることは大事って思っているのです。
怒りの感情があるって気づいたかどうかと、それを表現するのは別の問題。
怒りの感情があると気づいて、それをどう変換するのかは選択できるから。
たいてい、怒りの感情があるって気づく前に、それを表現して人を怒鳴るとかやってしまうから問題なんです。
それか、怒りの感情があるって気づいているに、それを自分が悪いと思ってせめて、笑顔を作っている。こういう人は、評判がいいけど、案外人を傷つけちゃうので、怒鳴っている人と同じ問題を抱えていること多いです。

大好きな人が自分の笑顔が大好きでいてくれたとしても、その人の何の行動にムカついたら、ムカつくと感じる。
それをどうするか、行動は選択できます。

たとえば、
ほんとその行動ムカつくよね と言う
まぁ、そういうところがある人だから、仕方ないよねと受け入れる
いつも同じパターンになるのは自分がいやだから、アプローチを変えてみる
その人との距離をちょっとだけ遠くにしてみる

などなど、いろいろと考えられます。

私は相手が「ぷっ」って笑うようなことで、気づいてもらうにはどうしたらいいか研究中です。
「ぷっ」と吹き出しちゃうようなアプローチが、相手も自分も楽しいから。

ムカつくものはムカつく。
嫌なものは嫌。

自分の行動は、その感情に左右されない。

ただそれだけなんですね。

そこに気づくと、本物の笑顔になれるって思うんですよ。
そして、憧れる人が多い、心が穏やかでゆったりした気持ちで過ごせるようになる。

できるだけいい状態に自分がいるってことは、自分が感じたことにまずは気づかないとね。
そして、どう行動するか決めていく。

何もかもいやになった。ひとり家にこもろう。
何もかもいやになった。まぁいいかと流して笑顔になってみる。
何もかもいやになった。今日は好きなものを食べまくってやる。

何でも選択できる。では、自分はいま何を選ぶ?

そんなことを意識して自分に聞き続けていくと、自分の感情とそれを表現する行動をコントロールできると思うんですよ。

ほんとのほんとのところでは、穏やかに笑顔あふれる生活をしたいって思っているから。

それを無理せず、自然にできるようになりたいって私は思うの。
「笑顔にならねばならない」とか「楽しまねばならない」って強迫的になっているんであれば、家に閉じこもってずどーんと落ち込んでいることと本質は変わらない。

それにね、いくら穏やかな人でも、痛いものは痛い。ムカつくものはムカつく。そんなものだよ。
この感情が人間からまったくなくなったら、それこそ命の危険にさらされる。
自分が車の下敷きになっているのに笑顔でいられないし、大切な人が目の前で傷つけられているのに「ツイテル」なんて言わないでしょう。

極端ですが、極端に当てはめてみると、表面的な言葉にごまかされなくなると思うんだな。

それぞれの場面で、適切な表情をして適切な行動がとれること。

そういうことができる人って、不思議と穏やかな人が多いのも確かなんです。
心がニュートラルだから、ギアチェンジが適切なんだろうなぁ。きっと。

ネガティブな感情を持ち続けて身動き取れないのは問題ですが、ネガティブな感情を変換していくことはできるのですね。
だから、その場面で自分が何を感じているのか気づいて認めること大事。

そうじゃないから、問題は複雑になる。

話が急に変わりますが、

ネギやたまねぎ、よく嫌われます。
なぜ、ネギやたまねぎは嫌いって言ってもよくて、人間はだめなの?

あの人が嫌いってことと、玉ねぎが嫌いってこと、そんなに変わらないよね。
うちの娘は玉ねぎが苦手だから、自分では玉ねぎの入ったものは作らないし買わない。
でも、私は玉ねぎが好きだから、料理で使いたい派。
ときどき娘と一緒に食べる料理にも玉ねぎを使います。極力大きく切って、より分けしやすいようにしておきます。そうすると、私のお皿にはどんどん玉ねぎが増えていくわけで、、、
彼女の人生では、玉ねぎは極力避けるものであり、料理に入っていたら母のお皿に入れるものって存在です。
それで何も問題はない。

玉ねぎが嫌いって事実ひとつとっても、笑顔で穏やかになれる方法はいくらでもある。ネガティブな感情を押し殺すってことはしなくていい。そんな風に私は思うんです。自分に優しくなりましょ♡

自然に楽しいって思える人生に、自分でしていこうよ~~

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 この記事の投稿者

白藤沙織

Web・印刷の株式会社正文舎取締役。 Webプロデューサー 兼 ライター。ときどきセミナー講師。 コーチやカウンセラーの資格を持ち、仕事に活かしています。 ダンス・歌・演劇好き。4コマ漫画のサザエさんをこよなく愛しています。

営業をどのようにしたらよいかわからないときに、Webサイトとブログ、SNSに出会う。以来、情報発信を丁寧にして未来のお客様と出会ったり、お客様のフォローをしています。

仕事もプライベートも「自分の生きたい人生を生きる」ために、「自信や勇気」を届けられたらうれしいです。

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