自分を信じてあげよう
人の評価というものは、あてにならないもの。
その人の価値観で判断されているだけだから、
あまり深刻に取らない方がよい。
大半は右から左へスルーしちゃう程度でちょうどよいと思う。
会社が倒産しそうになって、何とか立て直す方法はないか、
必死に働いていた頃、はたから見ると私は怖かったらしい。
「初めて会ったとき、目が吊り上がっている感じがして怖かった。
だから、近づかないようにしていた」
そんな風に言われたことがある。
そうか、怖かったんだ。
そのときはできることはなんでもしようと、
馬車馬のように働いていたからね。
目が吊り上がろうが、怖かろうが、
会社を存続させようと頑張ってしたから仕方がない。
でも、怖かったんだなぁと思うと、
ちょっと悲しくなった。
最近、
「トップ営業としてバリバリしていた頃の白藤さんを思い出して、、、」
と言われたことかある。
ほほぅ。
あの必死で働いて怖いと言われた時代、
トップ営業としてバリバリ働いているともとれるのか。
いま、手を抜いて働いているわけじゃないけれど、
お金を稼がなきゃー
会社がつぶれるーー
とか追い詰められてはいない。
つぶれちゃったらつぶれたときに考えよう
とか思っているので、
どこかお気楽に見えるのかもしれない。
「バリバリ働いたから、身体を壊したんだよ。」
とか言いたかったけど、
その人には関係ないことなので黙っていた。
もうバリバリ働いていないように言われたが、
違う人からみると、やっぱり働き過ぎなのだ。
「そんなに仕事をして大丈夫?」と言われる。
その人にとっては仕事はお金を稼ぐもので、
できれはしたくないことなのかもしれない。
私にはとっては、
仕事とプライベートの境はあまりないし、
楽しい仕事はたくさんある。
だから仕事はしたいことなのだ。
というように、
同じ私なんだけれど、評価はばらばら。
だから人の評価にあわせていては、
自分が何人いても間に合わない。
大事なことは、
人の評価を気にすることではなく、
自分が生きてみたいと思うように生きること。
自分の人生は自分しか生きられないし、
その人生をよりよくしようと頑張っているのは自分だ。
ほかの人の意見は真摯に聞かないといけない場合もあるけれど、
聞くか聞かないかは、自分が決めるといいんだな。
自分の考えをもっと信用して、
自分を信じてあげていいんじゃないのかなぁ。
長期欠席児童の自分の娘のことで、
学校の先生には、
「先生がどう評価しようと、
私は学校に行けなくても娘が元気で生きていることが大事です」
と言えたように、
自分のことも何が一番大事か言えるようにしようと思う。
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この記事の投稿者
白藤沙織
Web・印刷の株式会社正文舎取締役。 Webプロデューサー 兼 ライター。ときどきセミナー講師。 コーチやカウンセラーの資格を持ち、仕事に活かしています。 ダンス・歌・演劇好き。4コマ漫画のサザエさんをこよなく愛しています。
営業をどのようにしたらよいかわからないときに、Webサイトとブログ、SNSに出会う。以来、情報発信を丁寧にして未来のお客様と出会ったり、お客様のフォローをしています。
仕事もプライベートも「自分の生きたい人生を生きる」ために、「自信や勇気」を届けられたらうれしいです。