依存の問題を考えるときは、行為は悪いけど誰も悪くないってとこに立った方がいいと思うんだな
女優の沢尻エリカさんのニュースが、なぜだか気になっている。
いろんな意味で世間の注目をあびている彼女は自分軸で生きていないかもなぁと思った。大きなお世話だけれど。素の自分軸がふらふらしているから、ふわふわの状態でいて、誰かに救ってほしかったのかな。
そんな想像をしてしまった。
芸能界の中ではいろんな人間関係がありそうでよくわからないのですが、私の周りの小さな範囲でも、薬物はないにしても依存に関する問題は多々発生している。
自分自身に関心をもとうよ
とかいう私は、最近はずっと「自分の土台作り」に専念している。
意図したわけではないけど、ビジネスでもプライベートでも、自分自身に関心を持つワークをずっとする結果になっている。たぶん、いまそれに取り組みなさいという神様からのお告げなんだな。それが未来の私の基礎になるんだなと勝手に思って、せっせと取り組んでいるのだ。そうすると、過去の私を全否定したままでは、いい人生を送るのは難しいことも実感した。
全否定された過去の私が怒っている。私を置いていかないでと。そうして、隙あらば、全否定して生きている現実の私にむかって叫んでいるのである。
私を置いていくなんてひどいんじゃないの?
ところが、過去を全否定していると、その声も聞くことができない。事実を見るのが怖いから。が、自分軸をしっかり持つためには、この叫んでいる自分と向き合うしかないのだ。その声を受け止めて、過去の自分と今の自分が調和して統合していく。それで自分が癒されていく。過去も受け入れて、精神的にラクになれる。
見たくない事実を見るはめになるので、涙も出るし、吐き気も頭痛もする。だけれど、この癒しの過程が重要なのだ。
が、今の自分は全力で拒否しがちである。過去の自分なんて見たくないから。本当は、誰かに助けてもらいながら、過去を見るのがいいんだけどね。それすらできず、自分の中に閉じこもってしまう。そうすると、考えが凝り固まって、柔軟性を失っていく。そして、だんだんとマヒさせていくのだ。考えたくないから、思考停止になってしまう。事実を認めると自分が壊れそうになるから、感覚をマヒさせる。マヒさせるためには依存するものが必要だ。そうして、だんだんと依存症になっていく。
思考停止は怖い。
依存というと、麻薬、向精神薬、たばこ、お酒、恋愛、買いもの、ギャンブルと社会的にマイナスのことを思い浮かべる人が多いと思う。が、私は、仕事、いい人になるっていうのも依存なのではないかと思っているのだ。柔軟な思考ができない点では同じだからね。
薬物やお酒などはわかりやすい依存症だ。わかりやすいから、他の人がみつけやすいし、介入しやすい。だから、本気で自分を再生させようと思ったら、回復できる。簡単なことではないけど、できるんだよ。
私、依存に関しては、自分も向精神薬に依存していたからわりと詳しい。
周りの人も結局依存してしまう
依存症で何らかの問題を引き起こしたとき、周りの家族や関係者もまた難しい問題に直面する。依存症の本人の問題は深いけれどシンプルだ。本人が取り組むべきことはひとつ。自分自身の心を強くすること。
だけど、家族や関係者は違う。依存症の人を変えようと必死になるが、それは他人の人生に関与することになる。だから、難しいのだ。自分は変えようと思えば変えられるけど、残念ながら他人は変えられない。そして、他人の抱える問題を解決しようとする人は、たいていやさしくて真面目な人だ。正しいことを言う。そんな風に生きちゃだめよと言う。正論を語るのが好きだ。そして、依存症の人に依存しがちである。
けれども、自分の「正しい」にこだわると、真実は見えなくなってしまう。いわゆる常識に縛られて、依存している本人に関心をへの関心が薄れてしまうのだ。
身体に害があることに依存するのは避けた方がいい。
法律に反することはやはりしてはいけない。
そうなのだ。それは正しい。
でも、そういうことをいくら言っても、本人の心には響かない。もうすでに、それはよくないことと潜在的には気づいているからね。わかっているけれども止められないから依存なのだ。
指摘だけして、「変われって」と言って相手を変えようとしても、何も変わらない。
じゃあ何ができるのかな。
やっぱり自分自身のことに専念することかなと思う。自分しか変われないからね。その人に振り回される人生で生きたいのかちゃんと見る必要があるんだよね。もちろん、これは苦しい作業だけど。
でもね、依存している人に正しさを言うことで依存しているのよ。で、共依存になってしまうと、誰も本当の意味でしあわせになれない。
というように、依存症が深刻になると、身体も人間関係も、いろんなことがややこしくなる。そして、そこから抜け出すのは大変だ。
だから、依存をできるだけ少なくするのがいい。あっ、依存するものを持っていることが悪いことではないよ。依存するものと共存して生きていくこともできるし。
が、健康的な生活を送りたいならば、依存がない方が自分がラクという意味ね。
で、私はメンタルヘルスのサバイバーのグループに、今も参加しているので、常々依存についてどうしたらいいのかなぁと考えている。
で、最近思うのは、自分の感情の動きに敏感になることかな。
自分はいま、どんな感情を持っているのか知ることから始めるといいかな。
ほんとは、過去の自分と向き合うのが大事だけれど、自分が強くないとここまで進むこと自体が大変だからね。いま、どんな感情でいるのかなと自分に関心を持つのはすぐにできると思うの。
よく、「仕事なんだから冷静になる必要があるよね」と言われるけれど、そうなのかなぁと思う。そう言う人ほど、どこかかたくなで柔軟性がないように思うんだよね。自分の感情の動きも、他人の感情の動きも読み取れないような感じ。
もちろん、言葉を選ぶ、もろに感情を相手にぶつけないことは大事だ。
でも、それができなくなるのは、そこに問題があるからでしょう。
だったら、人間を責める前に、問題を解決したほうがいい。人間は問題がないときは、本来穏やかで楽しく過ごせるものだ。それができないのはその人のおかれている環境が問題なのだ。そっちを見た方がいいと思う。正しさで説得しようとしないでね。
誰も悪くない。「愛」を伝えよう
法に違反すること、
健康を害すること
それはよくない。やめる必要がある。でも依存症を持つ人が悪いわけではない。悪いのは、自分自身を傷つけてしまう行為だ。
正論を言っている人も悪いわけではない。でも、自分の言う正しさは、本当に正しいのかも知る必要がある。その正しさの中にいれない人もいるんだよね。
私は、これに気がつくのに結構時間がかかったなぁ。「わたし、正しいのに」って言って、経営者の先輩に「白藤さんの正しさは、ほかの人にとってどうなんだろう」とよく言われていた。ストレートに私に指導してくれた方がいたことにとても感謝しているのである。
さて、依存して問題を引き起こした人に対しては、どんな言葉がけをすればいいんだろう。
「あなたが自分を傷つけているのは悲しいよ。」
こんな感じかな。うざがられても、私は「待っているよ」と伝えてみたいな。
沢尻エリカさんの報道を見ながら、メンタルヘルスのサバイバーで、ガンサバイバーの私が思ったことは、そんなことでした。
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白藤沙織
Web・印刷の株式会社正文舎取締役。 Webプロデューサー 兼 ライター。ときどきセミナー講師。 コーチやカウンセラーの資格を持ち、仕事に活かしています。 ダンス・歌・演劇好き。4コマ漫画のサザエさんをこよなく愛しています。
営業をどのようにしたらよいかわからないときに、Webサイトとブログ、SNSに出会う。以来、情報発信を丁寧にして未来のお客様と出会ったり、お客様のフォローをしています。
仕事もプライベートも「自分の生きたい人生を生きる」ために、「自信や勇気」を届けられたらうれしいです。