人を正すことは本当に必要だろうか ~ 虹と雪、慟哭のカッコウ〜SAPPORO’72を見て思ったこと
精神病院は不思議なところだと私は思っている。
ある日、「さおり、どうしようここは狂っている場所だよ。僕はここから出たいんだよ」と友人から電話をもらった。彼は“精神病患者”というレッテルを貼られ、入院となった。彼は社会では「おかしい人」と思われていた。そして、それを矯正するために入院したのだ。おかしな人をまともにするための場所に行った。
それなのに、「ここにいると気が狂いそうだ」と電話越しに訴えているのだ。不謹慎だが、私はその彼の言葉が妙におかしかった。だってそうでしょう。気が狂っているから入院したらしいのに、本人はここにいると気が狂うと言っている。
なぜ彼が私に電話をしてきたかというと、実は私は向精神薬を服用していたことがあって、メンタルヘルスのことにずっと関わっていたのだ。私は医療関係者よりも、患者や元患者(サバイバー)と言われる人たちとの助け合いで完全に向精神薬を断ち切ることができた。カウンセリングをずっと続けているのも、その経験があるから。
だから、そのつながりでサバイバーの人たちとの関わりが深いのだ。
もちろん、医療に従事している人たちは一生懸命やっている。それはわかる。
だけれど、ときどき思う。何が正常で何が狂っているのだろうか。
正しさを追求すると、どんどん何かが歪んでいく。。。
何かの基準ができてしまうと、そこから漏れてしまう人がどんどんおかしな人になってしまう。。。
2月の最終週に観た「虹と雪、慟哭のカッコウ〜SAPPORO’72」は、精神病について私が過去に経験したことが描かれているなぁと思った。
こんにちは。
札幌でWebプロデューサーをしている白藤沙織です。モノゴトをズバリ言うので「ズバリスト」と呼ばれています。
コロナウィルスの影響で、3回の公演を残して中止となってしまった「虹と雪、慟哭のカッコウ」。私は運よく2月27日の公演を見ることができました。
時間がたってしまったけれど、感想を書きます。
正しいとはどんなことなんだろう
虹と慟哭のカッコウは、刑務所での懲役を逃れるために精神病のふりをしてとある精神病院に入院してきた金子タケシを中心に、そこに入院する人達と医療関係者の物語である。
舞台は1971年、冬季オリンピック開催直前の札幌。その時代は、まだ精神病院では患者に電気ショックやロボトミー手術が行われていた。
タケシは、その精神病院での非人間的な扱いに反抗する。そこに入院していた患者は「脳みそをちょんぎられる」とロボトミー手術を恐れ大人しくしていたのだが、だんだんタケシに共感するようになる。
そして、事件は起こった。
タケシの立ち居振る舞いを厳しく監視しているのが森川婦長。入院患者を大人しくさせて言うことを聞かそうと必死になっている彼女の姿を見ていると、どちらが「おかしい」のか、どちらが「病気」なのかわからなくなる。
人間らしく、自分らしくありたいと願う患者に対して、あなたはおかしいという医療者。そんな構図が見えてきたから。
(私は自分の経験上、患者側の視点でこれを書いているので、ちょっと偏った考えかもしれない)
病院側はまともにしよう、まともにしようとして、事件を起こしたタケシにロボトミー手術を施してしまう。それを正しいことと信じているところが怖かった。
元気に動き回り、めっちゃ反抗的だったタケシは、この手術で廃人になってしまった。
婦長も過去に入院患者に傷ついた経験をもっていた。だから、その心の傷が癒えていないから、強迫的に規則の中に人を押し込めようとしているのかなと思った。
今はもっと患者に寄り添った医療が行われている。それでも、医療関係者と患者の関係では、いろんな葛藤がある。患者が望んでいるのは自由と平等なんだよね。自分が社会的におかしいんではないかという恐怖は持っていて、それを何とかしたくて病院を頼る。でも、そこでさらに傷ついてしまうことがあるのだ。そして、どんどんおかしくなってしまう。これが悲しい。そして、それを見ていても、医療者ではない私ができることは、本人の話しを聞くことくらいしかない。
医療者側も実際に患者と接するのは大変だ。どうにかしたいと思っていると思う。だから、人間と人間として対等なこと、お互いに気づいていくのがいいのかもね。
正しいって何だろう。
まともって何だろう。
自由って何だろう。
少なくとも、自分のモノサシで人を測っていては、決して理解できないんだなと思った。その人に興味を持たなければ、なぜその人が反抗しているのかはわからないから。
精神病院から電話をくれた私の友だちも、ただ自分のことを理解してほしかっただけなのだ。
立っているだけで光っている役者さん
私もお芝居をしているから、プロの役者さんが何をしているのか、興味をもってみていた。
主演の斎藤歩さんと、精神病棟の「ヌシ」と呼ばれた貝澤を演じていた納谷さんは、以前「ゴドーを待ちながら」で共演したときからちょっと気になっている。ファンと言うほど、まだ舞台は見ていないので、いいなって思う感じ。
齋藤さんのアドリブが好きだなぁ。ほかの役者さんたちに「長いよ」とか言われていて、舞台の上で一瞬みんなが素になるのもおもしろかった。
今回、お芝居の冒頭で、納谷さん演じる貝澤が観客席に背をむけて立つのですが、立っているだけでなんとなく怖かった。耳が聞こえない、話せないふりをしてこの病院にいる貝澤の雰囲気が伝わってきた。この人は訳アリだなって感じた。
そして、もうひとり私が印象に残っている役者さんがいる。金子タケシのガールフレンドを演じていた小橋亜樹さん。彼女も出てきたときにインパクトがあった。登場シーンは少ないのですが、なぜか忘れられないのだ。
話がちょっと飛ぶのですが、なぜ小橋さんが印象に残るんだろうって考えていたとき、漫画「エースをねらえ」の岡ひろみを思い出した。エースをねらえ2の方で、桂大吾コーチが自分が指導している選手に、「岡ひろみはどこにいても光っている。大勢の選手の中でもきらりと光るものがある。あんな選手をめざせ」と言うシーンがある。どんなときでも、演じることで光っているんだろうな。
私もそんな役者になりたいな。
「虹と雪、慟哭のカッコウ」は、もう一度観たいお芝居だった。
そして、映画「カッコウの巣の上で」も見よう。
ではでは~
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この記事の投稿者
白藤沙織
Web・印刷の株式会社正文舎取締役。 Webプロデューサー 兼 ライター。ときどきセミナー講師。 コーチやカウンセラーの資格を持ち、仕事に活かしています。 ダンス・歌・演劇好き。4コマ漫画のサザエさんをこよなく愛しています。
営業をどのようにしたらよいかわからないときに、Webサイトとブログ、SNSに出会う。以来、情報発信を丁寧にして未来のお客様と出会ったり、お客様のフォローをしています。
仕事もプライベートも「自分の生きたい人生を生きる」ために、「自信や勇気」を届けられたらうれしいです。