歯形がついたクッキーの思い出
家に帰ったら、娘がお土産として会社に持って行ったはずのクッキーがあった。
「あれ? クッキー、忘れていったの?」と聞いたら、
「お母さんが食べたいと思って、会社で配って余ったのを持って帰ってきた」と言う。
そうだった。
今朝、出社するときに「クッキーは会社に持って行っちゃうんだね。家では食べないんだ」と、ちょっと冗談ぽく私が言ったのだった。
会社に持って行って、みんなで食べるのならばそれはそれでよかったのだけれど、、、
彼女は今朝私の言ったことを覚えていてくれて、持って帰ってきてくれたのだ。
やさしいね。
箱にはクッキーが2枚。1枚は自分用だと念を押された。
そんなやりとりをしていて、ふっと彼女が小学校の2年生頃のことを思い出した。
小さな子も事情はよく理解している
本当に申し訳なかったのだが、諸般の事情により(^▽^;)、私は彼女が小学校1年生になるときに離婚した。
それだけでも娘にとっては大変なことなのに、2年生になる頃から会社の経営状態が厳しくなり、私はがむしゃらに働くようになった。
それは何を意味するかというと、帰宅時間がだんだん遅くなるということである。
帰宅時間が遅くなるということは、ご飯の時間も遅くなる。
当然、待っている子どもはお腹がすいたりするわけだ。
もう何が理由だったのか忘れてしまったけれど、私はなかなか帰れなかったことがある。
娘が待っていると思いつつも、仕事が終わらないで焦っていたと思う。
やっと仕事が終わって、急いで家に帰ったら、歯形がついて半分になったクッキーがテーブルの上にあった。
「どうしたの?」って聞いたら、
「お腹がすいて、クッキーを食べようと缶を開けたら、一個しかなかったの」と言う。
ウルウルしちゃいました。
お母さんも食べたいって思ったから、半分個にしたと言うんだもん。
そのまま食べちゃうことだってできたのにね。
(食べちゃったら、怒られると思ったのかは定かではない)
「ありがとう」と言って、娘がかじったクッキーを食べた。
娘は満足そうに笑ったんだよね。
お母さんの面倒は私がみなきゃって思ったのかな。
小さな子は何も知らないって思われがちだけれど、親の事情を肌で感じ取っている。
表現ができなくても、ちゃんと理解しているんだよね。
100%の愛情で接してくれる娘に、ほんと助けられて私は生きてきたなぁと思う。
彼女がいなかったら、もっと仕事ができたかもしれないけれど、
彼女がいたからこそ、人生は豊かになったのだと思う。
そうして、ただただご飯を食べているだけでも、
「かわいいなぁ」と感じられる自分でよかったなぁと思うのだった。
っていう美しい話もあるというのに、
母が「オニババ化」という話は山ほどあり、今でも言われるのである。
修行の足りない母でごめんよーーーーっ
コメント
この記事の投稿者
白藤沙織
Web・印刷の株式会社正文舎取締役。 Webプロデューサー 兼 ライター。ときどきセミナー講師。 コーチやカウンセラーの資格を持ち、仕事に活かしています。 ダンス・歌・演劇好き。4コマ漫画のサザエさんをこよなく愛しています。
営業をどのようにしたらよいかわからないときに、Webサイトとブログ、SNSに出会う。以来、情報発信を丁寧にして未来のお客様と出会ったり、お客様のフォローをしています。
仕事もプライベートも「自分の生きたい人生を生きる」ために、「自信や勇気」を届けられたらうれしいです。