誰が主人公なのか ~ その1

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folder 白藤沙織のこと

思い込みって恐ろしいよー

誰でも自分の人生では、自分が主人公なんだな。

このことを最初に気づいたのは、さおりん22歳の春、大学4年生のときでした。

健康診断で「肺結核」がみつかり、しかもそれが悪いらしい。すっかりパニックになった私は、両親の指示に従って実家で静養することになりました。

大学4年生と言えば就職活動。それもままならず、大学を離れて実家に帰るときに羽田空港で思ったことは、「野麦峠みたいだなぁ」ということ。

どういうことかと言いますと、「女工哀史 野麦峠」で、主人公の友だちが確か重い病気になって国に帰るって場面があったんです。そういえば、その子は国に帰って、あとで死んだという連絡が主人公に入るんだよなぁ。。。

ドラマではこうやって国に帰る人はもう登場しなくなりますが、その人が生きている限り人生は続くんだと、そのときふっと思ったのでした。ドラマではすぐにいなくなっちゃうけど、実際はいなくなった人にも人生があるんだなー。

つまり、

当時住んでいた津田塾大学西寮を舞台にすると、私は肺結核になって北海道に帰ったという設定になり、その場面には登場しなくなります。

が、

浦臼町を舞台にすると、私は実家に戻って、療養しているという設定になります。

当たり前のことなんですが、そうなんだーと妙に納得したのでした。

ただ、この頃は自分の人生は自分で作っていくって感覚があまりなかったの。
ほかの誰かが主人公である人生を生きていたように思います。自分はいつも一歩引いた脇役なんですね。

自分の人生なのに。大バカ!
しかも、自分には選択肢はないんだ、与えられた人生を生きていくんだとか思っていた大バカ!

今振り返ると、ちゃんと自分の人生を生きていたんですよ。そのときから。
北海道にいたら気が狂っちゃうとか思って、半年後に東京に戻ったの。治療しながら大学に行ってたし、卒業論文を提出した翌々日くらいに友達と思いたって、金沢にも旅行していました。「私は病人、就職も決まらない」とか落ち込んでた割には、夜行列車に乗って金沢まで遊びに行っちゃったんですよ。

全部、自分で選択して行動していたのにね。おしいなぁ。

就職決まってないけど、卒論を書き終えて金沢に旅立つ図。

大学だって半年休んで3年半で卒業できたしねー。

西寮の自分の部屋の前

人生の脚本は自分で書く

自分の人生は自分が作るって最初に聞いたのは、離婚した後のこと。
「アクションプランナー」という手帳を開発した、イー・ウーマンの佐々木かをりさんの講演を聞いたときです。

佐々木さん、こんなお話をしてくれました↓

手帳は人生の脚本のようなもの。

自分の人生では、自分が主人公。

手帳には、主人公を動かすための話を書く。

この話を聞いて、かなりびっくりしました。
そのとき書いたブログ「脚本として手帳を使う」
http://websuccess.blog98.fc2.com/blog-entry-249.html

あれ?、出来事は向こうからやってくるものではなくて、自分から作っていってもいいんだと。

あれ?、私の人生の主人公は私なの?

そのときは、何歳に何をするって未来に向かって計画を立てることができなかった。
実現しなかったら怖いし、与えられた人生だから私が決められないしとか思っていました。

でも違うみたい。自分でいろいろシナリオを作っていいみたい。衝撃的でした。

このとき、さおりん44歳(;^ω^)。

気づくのおそーーーーい。

その当時私はどういう状況にいたかというと、離婚し、倒産しかかった会社がやっと軌道にのって、Web屋をはじめたくらいの頃。

結構な人生の波があったのに、私はそれをちっとも自分事ととらえることができず、彼が別れると言ったから、会社が危ないから、Web屋やろうと提案があったからと、課題が与えられたから対処しているっていう、なんか受け身なんだよね。

そりゃー大変だわ。

いま、考えると腹が立つ(笑) しっかりしろ! わたし。

あるとき母が私に言ったひと言で、こんなことしてちゃ大変だーと気づきます。

「我慢して我慢して、お父さんに仕えてきたけど、60歳過ぎてやっと自由になったわ。だから、あなたも年をとったらいいことあるよ。」

というようなことを母は私に言ったけれど、そのときはっきり思いました。

「お母さん、ごめんね。私60歳まで待てない。私は自由になりたい」。

60歳まで我慢の人生なんていやだ。

(お母さんの生きた時代と取り巻く環境が違うので、お母さんは一生懸命生きてきたと思うし、悪いとは思わないの。昔の私ならば「お母さんが耐えたなら、私も耐えなきゃいけないだ」って思ったと思うしね。)

私の人生の中で起こった紆余曲折も、自分が主人公の脚本で演じていたら、もう少し自分を大切にできて、もっとラクに軽やかに考えられたんじゃないかなと、今は思っています。

まっ、過去は変えられませんからね、今の私がもうちょっと賢く生きればいい。

ここでまとめ。

せっかく生まれてきたのだから、自分の人生は自分が主人公で、自分を主語にして生きた方が楽しいと思うの。

自分を主語にしてみたら、起きた出来事は誰のせいでもなくなるよ。誰かのせいって思うのは、自分のせいって思ったら辛くなるからなんだろうけれど、、、

自分を主語にして考えてみたら、自分が何かしなかったからなんだなーと受け止めることができる。そして、まぁいいじゃん。自分がやりたくないんだからさって、お気楽になれるんだよね。

50歳を過ぎてから気づくなんて、なんか成長がすんごく遅いんですが、まぁ自分のペースで生きてます。
これからは、もっと好き勝手にしようっと。

大人になってから、仲のよい友だちができたー
調子にのって、モデル風に撮影してる図

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 この記事の投稿者

白藤沙織

Web・印刷の株式会社正文舎取締役。 Webプロデューサー 兼 ライター。ときどきセミナー講師。 コーチやカウンセラーの資格を持ち、仕事に活かしています。 ダンス・歌・演劇好き。4コマ漫画のサザエさんをこよなく愛しています。

営業をどのようにしたらよいかわからないときに、Webサイトとブログ、SNSに出会う。以来、情報発信を丁寧にして未来のお客様と出会ったり、お客様のフォローをしています。

仕事もプライベートも「自分の生きたい人生を生きる」ために、「自信や勇気」を届けられたらうれしいです。

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