子ども時代に見たものは性格形成に確実に影響すると思う
なんか窮地に追い込まれている感じがする。
そんなとき、私の場合「闘いのスイッチ」がオンになるのである。
絶対に負けない。そういう気持ちが湧いてくる。
普段、道に迷ってばかりいる天然ボケなのだが、窮地に立たされるとモードが違う。
思い返せば、アメリカの税関でパスポートを取り上げられそうになったときも、ここで萎えては不利になると急にスイッチが入った。英語が多少話せなくても、相手は私より相当大きい白人の役人でも関係ない。私は負けないと闘いのモードになるのである。
そのときは、「It is my fault,sorry」(こちらのミスです。ごめんなさい)と最終的には謝ってもらった。あとで震えがきたけれど、私は負けなかったのである。
こんにちは。Web集客のことをズバリ言うズバリスト、白藤沙織です。
9月最初の三連休は、母の家に遊びに来ている。
お盆の頃は、ひとりで芸術の森に行ったり、休暇で静かな会社でホームページの原稿を書いたり、お友だちと会ったりと、自分のことでおもしろすぎてずっと札幌にいた。
最近、いい人も、「すべき」という発想も手放したので、こういう結果になった。父は天国にいて、「まったく」と相変わらずぶつぶつ言っているかもな。まぁ、そんな私に文句があるならば、元気な頃のパパに戻って来てほしいものである。
それはおいといて。
母の家で北海道新聞を見ていたら、ワールドカップバレーがあることを知った。
懐かしいなと思い、久しぶりにバレーボールの試合をテレビでみることにした。
試合を見終わったあと、今の私が作られていった過程で、ふたつのスポーツとふたりのヒロインが関係しているんだということにも気づいたのだ。
スポーツアニメのヒロインが好きだった
子どもの頃は、母がよくバレーボールの試合をテレビで楽しそうに見ていたのを思い出したから。我が家では父も母もバレーボールが大好きで、実業団リーグのバレーや春の高校バレーは欠かさず見ていたのだ。特に母はママさんバレーのチームでプレイしていたから、私は体育館で行われる練習についていって、ボールで遊んでいるのが好きだったな。たまに、大人の人にバレーボールで遊んでもらえるのもすごく楽しかった。
その頃は、「サインはV」、「アタックNo.1」とバレーボールがテーマの番組が放送されていて、夢中になって見ていたものだ。バレーボールを持って、マラソンなどしていたのだな。練習のつもりでね。
サインはVのテーマソング↓
サインはVは、私はまだ小学校に入るか入らないかのときだったので、正確にはあまり覚えていない。
が、富士見中学の鮎原こずえは、私の最初のヒロインだった。
彼女はマイペースでかっこいいからね。
鮎原こずえは、試合中に足をくじいたとしても、とにかく最後までボールを拾い続ける。自分がやらなきゃとがんばるのだ。
寺堂院高校の柳沢三姉妹の三位一体攻撃に翻弄されていたときとも、こずえは猛特訓で新しい技を編み出し、最終的には三位一体攻撃を見破ることができるようになった。こんな攻撃できるわけないじゃんと思いつつも、できるようになったらおもしろいかもなぁと空想していた。
そんなこんなでバレーボールが好きだった私、順調にいけば中学生になったらバレーボール部に入って、アタックを打てるようになりたいと思っていたのだ。ほんとだよ。
陸上系や体操系のスポーツはてんでダメな私ですが、なぜか球技だけはできたんで、バレーボール選手になりたかったのだ。
それが、、、
エールをねらえ!が始まった頃から、興味が変わったんだよね(^▽^;)
エースをねらえでも、岡ひろみにだんだんと夢中になり、テニスがいいなと思うようになった。テレビに影響されやすい子だったんだなぁ(*^▽^*)
岡ひろみは、宗像コーチの厳しい特訓にも、泣きながらついていき、世界大会まで行ける選手になるのだ。練習中に気を失うなんて当たり前。それでも必死についていく。
私が中学校に入学したときは、テニス部に入った。その当時、浦臼中学校には、若い理科の先生が赴任していて、中体連の全道大会に出場目指してチーム作りをしていた。前任校では、全道大会の常連チームを作っていた先生なのだ。が、浦臼町はのんびりした町なので、先生の熱の入れ方になかなか生徒がついていってないのが状況だったらしい。
私が入った頃は、それでもチーム作りも2年が経過して、何とか地区大会で優勝できるのではないかというくらいに成長していた。先生は全道大会にもう一度出たいという目標をもっており、ちょうど私たちの学年に期待していた。残念ながら、私たちは全道大会のひとつ前の北空知大会の一回戦で負けて、全道大会には出られなかった。それでも、地区大会では敗者復活戦でせり勝って、北空知大会に行けたのは最高の思い出になった。そのときも、当然心の中では、エースをねらえの主人公、岡ひろみになっていたのは間違いない。
それにしても、
鮎原こずえも岡ひろみも、熱く燃えるの人なのである。逆境に陥ったとき、私がやるわと立ち上がるし、多少のけがも根性で乗り切ろうとする。
ふむ。この二人を見ているだけでも、私のその後の人生に影響を与えたわねと思うのだ。たぶん、持って生まれた性格もあるのでしょう。でも、小学校低学年から中学生になるまで、努力を重ねて成長していくという話をずっと見ていたのだから、私の価値観・世界観に相当影響していると思うのだ。
それはそれでいいことなのだと思うが、、、
そこまでひとりで何もかも背負わなくても、道は拓けてくるよ。
さんざん闘って、さんざん失敗して今に至る私は、そう思うのだ。
浦臼町の実家でワールドカップバレーを見ながら思い出したことは、こんなことでした。
コメント
この記事の投稿者
白藤沙織
Web・印刷の株式会社正文舎取締役。 Webプロデューサー 兼 ライター。ときどきセミナー講師。 コーチやカウンセラーの資格を持ち、仕事に活かしています。 ダンス・歌・演劇好き。4コマ漫画のサザエさんをこよなく愛しています。
営業をどのようにしたらよいかわからないときに、Webサイトとブログ、SNSに出会う。以来、情報発信を丁寧にして未来のお客様と出会ったり、お客様のフォローをしています。
仕事もプライベートも「自分の生きたい人生を生きる」ために、「自信や勇気」を届けられたらうれしいです。