その人は確かに存在していた
幼い頃の記憶だから、どこまで本当のことなのかわからない。
でも、確実に今の私に影響を与えている出来事がある。
私は、その人のことを不思議な人だなと思っていた。
どちらかと言えば、口数が多く感情表現が豊かで、人との距離がめっちゃ近いような親戚の中で、その人は雰囲気が違うのである。その人は物静かな人だったように思う。
私の家に来たことがあると思う。でも、ほかのいとこのように一緒に遊んだ記憶はない。たぶん、ずいぶん年が離れた私とそんなに話すこともなかったのだろう。そうかと言って無関心でもなかった。何となく覚えている。
最後の記憶は、その人の家に行ったときのことである。白い布を顔にかけられて静かに寝ていた。重苦しい空気の中で、「笑っちゃいけないんだ」と幼い私は感じ取っていた。
私の想像上のことなのか、現実のことなのかわからない。でも、もう動かなくなってしまったその人を、私はじっと見ていたような気がするのだ。それもひとりで。
もういなくなったんだなと思った。
なぜいなくなっちゃったのだろう。どうしても理由が知りたくなった。
でも、大人には直接聞いてはいけない感じがしていた。
大人はたまにその人の話をしていた。私は聞き逃さない。黙って聞いていると、「学生運動」というのがキーワードらしい。そして、私の調査が始まる。学生運動ってなんだろう。
あさま山荘事件が起こったのは8歳のとき。
「お母さんにあんな風に心配をかけちゃいけないよ」。誰かに言われた記憶がある。
「学生運動」「闘争」「封鎖」「自殺」。
どうやって知ったのかはもう覚えていないけれど、中学生の私は高野悦子さんの「二十歳の原点」を読んでいた。その世界観を理解するのは、難しかったかもしれない。でも、学生運動があって、自殺する人もいたんだと知った。そして、自分の身近でも起こったのだ。
高校生のとき、偶然だがその人がかつて住んでいた家に住むことになった。
「あぁ、ここに寝ていたんだ」。私は小さいときのあの場面を思い返していた。そのときは、もうその人がいなくなった理由もわかっていた。その人の父親が、手記を出版したからだ。その人の思い出が書かれている章を何度も何度も読んでみた。
大学に合格した時、大学は怖いとこかなと思ったりした。でも、学内は平和そのものだった。熱く議論する人もいない。「革マル派」の学生がビラを配っているのを見たが、今の言葉で言うと「イケてない」と私は思った。
時の流れは、何もかも流してしまう。個人の記憶も薄れていく。
でも、顔もあまり覚えていないし、話したことも覚えていない、その人の記憶は流れていかない。私はなぜだか、彼が私を守ってくれた感じがする。彼と同じ道に行かないように。
小さな子どもは何もわからないと大人は言う。
でも、違う。大人のように言葉を駆使できないだけで、子どもは周囲の出来事を完璧に感じ取り、その年齢なりの理解をしようとしているのだ。
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白藤沙織
Web・印刷の株式会社正文舎取締役。 Webプロデューサー 兼 ライター。ときどきセミナー講師。 コーチやカウンセラーの資格を持ち、仕事に活かしています。 ダンス・歌・演劇好き。4コマ漫画のサザエさんをこよなく愛しています。
営業をどのようにしたらよいかわからないときに、Webサイトとブログ、SNSに出会う。以来、情報発信を丁寧にして未来のお客様と出会ったり、お客様のフォローをしています。
仕事もプライベートも「自分の生きたい人生を生きる」ために、「自信や勇気」を届けられたらうれしいです。