私がウェブや印刷の仕事をしている理由 No.2
なぜ、私がウェブと印刷の仕事に関わっているのか。
それは、好きだから~~
今日は、なぜウェブの仕事をしているのに、印刷物にもちょこっと詳しいのか、そもそもIT業界に入った理由は何なのかを書いてみますね。
株式会社WEBサクセスを立ち上げた、いきさつは下記の記事にまとめております。あわせて読んでみてくださいね。
私がホームページ屋になったわけ
https://saorin.websuccess.jp/post-32/
就職活動ができていたらIT業界にはいなかった
私立文系女子だった私。
しかも、受験勉強は世界史、英語、現代国語、小論文のみ。
そんな私が東京の大学を卒業して就職した会社は、札幌のソフトウェアの開発会社。なぜ、その会社を希望したのかと言いますと、まぁなりゆきです( ゚Д゚)
国際関係学が専門の私は、大学3年生までは国際交流関連の団体を就職先として希望していました。
が、、、
4年生になったときに、病気が発覚して治療のために一時北海道の実家に戻っていました。その後、4か月くらい大学に行けず、就職活動も始まってしまうという最悪の状態に突入(>_<)
私の人生の中で一位二位を争うくらい、落ち込んでいた時期でもありました。
いったん北海道に戻ってしまうと東京で暮していく自信がなくなり、北海道で就職しようかなという気持ちになっていました。
そうして、夏の暑い時期に自分がいいかなぁと思う北海道の企業にはがきを送っていました。
(今なら、採用ポータルサイトにエントリーするんですね。昭和ですね~)
秋になって大学に戻ったら、やっぱり東京で就職しようかなと思い直し、ぽつりぽつりと就職活動をしていたのですが、健康状態もよくないので気持ちも暗い。だから、就職も決まらないということが続いていました。
そして、とうとう冬になってしまい、私は相当焦っておりました。
そんなある日、
「東京に出張するので、一度お会いしませんか」という札幌の企業の採用担当の方からお手紙をいただいたのです。
縁とは不思議なもの。その方が「私の運命」を決める結果になるんです。
その企業は、当時パソコン用のワープロソフト開発で業績を伸ばしていたソフトウェア開発会社。ちょうど、総務や企画職で人材を募集していました。
そのときは、総務部に採用される予定で、入社したものの、、、
その後の研修で総務には向いていないという評価を受け(^^ゞ、仕方がないから企画部に配属されました。
そう。ここで企画部に配属されなかったら、私は今のように企画をしたり文章を書いたりする仕事をしていなかったと思います。
パソコンを使えず苦戦
こうして、新人でソフトウェア開発会社の企画部に配属された私ですが、就職するまでパソコンを一度も操作したことがなかったんです(^◇^)
製品はソフトウェアなのでパソコンが使えないと、仕事にならない。
それなのに、私は触ったこともなかったんです。
当然、お荷物状態 (-“-)
同期入社の女子は大学の時からパソコンを使っていたので、どんどん仕事を任されていくというのに、私はキーボードの入力の練習をしているという感じでした。
最初の頃は何もできなくて、悔しい思いをしながら家に帰っていましたね。
そんな私に与えられた最初の仕事は、発売前のソフトウェアの検査の仕事。
いわゆる「バグ出し」という、ソフトウェアから不具合を見つける作業です。
毎日、毎日、ソフトウェアを操作して、正しく動作するのかチェックしていたのです。
基本、どこにいても、何をしても楽しみをみつけるので、だんだん、不具合を見つけるのが楽しくなって、にこにこ笑って「不具合を見つけましたぁ」というので、開発したプログラマに渋い顔をされていました。
天職をみつける?
パソコンを触ったことも、ソフトウェアって何なのかもわからない私でしたが、企画部の仕事でやってみたいことがありました。
それは、製品に梱包するマニュアルを書くことです。
もともと文章を書くことが好きで、小論文を書いて大学に入ったような人です。数々の企画の仕事の中で、唯一私ができそうで興味を持ったものでした。
そんなある日、チャンスがやってきました。
トラブルがあって、締め切りが迫っているマニュアルを作る担当がいなくなったのです。時間に余裕があるのは私しかおらず、その仕事を引き継ぐことになりました。
引き継いだ時点での締め切りは明日(+o+) 。
がんばりましたよー。私。
会社に泊まって、マニュアルを仕上げました。
質はあまりよくなかったように思いますが、
中途半端になっていた原稿をマニュアルに仕上げた根性は、自分でも素晴らしいと思います(へへっ)
そんなこんなで、「マニュアルは私の仕事!」と周囲も認めてくださるようになり、その後2007年のWEBサクセスの立ち上げまで、マニュアル制作をしていたのです。
怖いもの知らずは新人の頃から
思い返せば、私は専門的な教育を受けないまま仕事に飛び込み、仕事を通して仕事に必要なことを覚えていきました。
お客様やお取引様に育てていただいていたんですね。
当時のマニュアルは紙ですから、当然印刷屋さんとお取引がありました。
本の作り方や印刷のことは会社の上司よりも、印刷屋さんから教わりました。
紙やインクの種類こと、製本の種類など、このときに覚えたことはたくさんあります。
といっても、マニュアル作りに関わることだけですが、、、
「水と空気以外には、どんな素材でも印刷できる」
と聞いたときは、新鮮でしたよ。
大学を卒業して、そのソフトウェアの会社には4年ほど在籍していました。
その間、入社2年目の頃からマニュアル制作のプロが集まる「テクニカルコミュニケーター協会」の立ち上げ時から参加させていただいたり、東京の制作会社の社長さんにマニュアルの作り方を教わったりしていました。
マニュアルも最初は見よう見まね、自分でいろいろ勉強しながら作っていたんですね。
執筆対象であるソフトウェアも、用途によっては私の知識では理解できないものもありました。
それでも、仕事ですからひとつひとつ分析して、わからないことは開発者に質問するということで、
マニュアルを書く範囲では理解できるようになりました。
人間の作ったものだから、私にも理解できるはずという考え方は、このときの経験から身に着いたものだと思います。
ですから、マニュアルの発注量が減りウェブにシフトし始めたときも、自分で勉強したら何とかなると思えたんだと思います。
職業に関しては、なりゆき・流れの中で選んできたように思います。
でも、その中でも自分の好きなことを仕事にできたことは幸運だったんだなぁと思います。
マニュアルの需要が極端に減って、大好きだったマニュアルを今はほとんど書いていません。
でも、この時の苦労や学んだことは、私の中にしっかり根付いています。
好きなことを仕事にすると、
たとえできなくて泣いていたにしろ、少しずつでも実力がついてくるのだと思います。
現在は技術の進化がものすごくはやく、3年くらい前の常識が常識でなくなることも多くあります。それでも、販促物を作りたいと思っているのは、やっぱり好きだから~と思います。こういう仕事に出会えて、幸せだなぁと思っているのです。
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この記事の投稿者
白藤沙織
Web・印刷の株式会社正文舎取締役。 Webプロデューサー 兼 ライター。ときどきセミナー講師。 コーチやカウンセラーの資格を持ち、仕事に活かしています。 ダンス・歌・演劇好き。4コマ漫画のサザエさんをこよなく愛しています。
営業をどのようにしたらよいかわからないときに、Webサイトとブログ、SNSに出会う。以来、情報発信を丁寧にして未来のお客様と出会ったり、お客様のフォローをしています。
仕事もプライベートも「自分の生きたい人生を生きる」ために、「自信や勇気」を届けられたらうれしいです。